戯れの前に(若大総統夫妻)

『どうして眼帯を取らないの?』

押し倒されながら今まで口に出さずにいた疑問を目の前の男に投げ掛けた。今まで本人が自分から言い出すだろうと思っていたし、この人には珍しく何かしら言いたくない話でもあるのだろうと薄々感付いてはいた。けれども、自分自身の気持ちに押えが付かなくなってしまったのだ。例えば酷く醜い痣が残っていようと―そもそもそんな程度で別れる気も無い程この男から離れられなくなってしまっていたが―女として眼帯の奥の秘密をも、相手の全てを知って受入れたかった。

『あなただけ隠して、狡い。』

その問い掛けに、男は答えない。
答えない代わりに口を塞がれた。
よほど答えたくないのだろう。唇を侵されながらも目を開けると、相手と目が合った。その瞬間、相手が済し崩しに話を曖昧にしようとしているのが分かった。
・・・そのまま再び目を閉じて流してしまえばいい。そんな事は、どうだっていいでしょう?
だというのに、「今日は嫌。」と、
男から身を捩り、拒否の意を伝えた。
これは私の自分勝手なわがままだと分かっている。全部知りたいなんて私自身のエゴだと。でも、いつまでも片目だけで見つめられるのは不公平な気がして嫌だったのだ。それに、私の前で片目というコンプレックスを抱えたままでいるのは彼らしくないと常々思っていたコトで。

一言が、瞬時に溝を作る。側にあった体温は無言のまま離れてゆく。このまま私を押さえ付け、済し崩しで続けることも出来たのに。
甘い空気は霧散し、気まずさだけが残ってしまう。お互い座り込んで黙ったまま動けない。いたたまれないというのはきっと、こういう場面を指すのだろう。
無理もない。初めて彼を拒否したのだ。別に嫌な訳じゃない。本当は嬉しいし、今だって抱かれたかった。
だというのに、たった一つのわがままがそれを不意にしてしまった。ただでさえ口下手な男を追い込んで、自らをも追い詰めてしまう。見なくても相手がどんな顔をしているかわかるから尚更顔が上げられない。

「・・・私、先に寝るわ。」
長い無言の後、ようやくそう呟いて逃げるように相手に背を向けた。黙って視線を落したままの男に焦れったさを感ないと言えば嘘になる。けれどもまた、やり場の無い想いをどう処理すればよいか彼自身が途方に暮れているのも気付いていた。だからこそ余計に胸が締め付けられて、身を横たえた。
すぐ側にあった気配が遠のくのは寂しいけれどもどうしようもない。
そう自分に言い聞かせて。

なのに―
側の男はいたたまれなさに耐えながら、必死で何かしら言葉にしようと考えあぐねている。これっぽっちも離れようとはしない。どこまでも愚直過ぎる。
そんなに私は彼を悩ませてしまうような事を言ってしまったのだろうか?眼帯一つの話、知りたいという気持ちはいだいてはいけないものなのか…?
目頭が熱くなり、視界が滲む。それでも拭わずかたくなに瞼でシャットアウトする。背後から、彼が求める回答を与えてくれるまでは。

「泣かれると、その、こまる…」
「泣いてなんかない。」

無言を挟みながらも、途切らせる事なく独言は続く。

「見せられないとしか言えない。」
「見たとして有益な事は無いが、不利益を被る可能性は“今後”ありうる。」

「…べつに、もういい。」
遮る言葉がついて出る。
知りたいのはそんな事実ではなくて、その素顔。頭では言葉の意味を理解しているのに、心が付いてこない。
彼のいつもより低くくぐもった声は、優しい。
ここまでくるともはやだだをこねているに過ぎないのに、彼の慰めの台詞は止まない。
浅ましく全部を欲しがり続けるのはみっともない所業だ。結局何を言われても納得できない癖に、引き処を無くして小さな意地を張り続けているだけ。
そんな私を―

シーツに投げ出した手に、男の手が不意に重ねられ。

「それ以上は、言えない。でも、わかってくれないか。」

掌の温もりが、胸の奥の琴線に触れた。
本当に狡い男だ。こんな風に手を重ねられたら・・・納得するしかない。
体を起こし振り返って漸く相手を見やる。困り果てた表情を浮かべながらも瞳の奥ではただ一つ、察してくれと私に訴えていた。

言えないのは何故かなんて分からないし、釈然としない。ただそれが彼自身のコンプレックスから来るものでは無く、もっと外因要素の関わる、彼自身にもどうにもならないような、そんな物があるのだろうと理解した。後ろめたさが無いと言えば嘘に違いない。けれども、言わない事で何かしら私を守ろうとしているのだしたら?それを独りよがりな感情で無下にしてしまう方が、一番の惨い受け入れ方だ。
そもそも彼が嘘をつくようには思えない。ましてこんな顔をして人を平然と騙すような男だとも。嘘がつけないから、話さないだけだったのだ。

「私こそわがままを言ってごめんなさい。」
重ねられた手を握り返す。
「いや、今まで触れないでくれた事に甘えていた私が悪い。」
「もう聞かない。勿論知りたいとは思うけれど、私が知ったら仕事に差し支えるのでしょう?それにもうこんな風に喧嘩したくない。…いつかあなたが話してもいいと思ったら話してくれればいいわ。別に知らなくてもあなたはあなただし、ね。」

もう片方の手も差し出して、両手で手を繋ぎ合い、
「仲直り」と。

『それじゃ、その、さっきの続きを・・・。』
『何を黙っているのかと思えば!もう、スケベ!』

戯れ合いもやがてまた先程の甘いものに変わって行く。キスをされ、抱き締められて、応えるように首に腕を回し。

二人の時間は始まったばかり。何となくいい様にはぐらかされてしまった気もするけれど、秘密を抱えた姿をも受入れるというのもまた一つの在り方。この人は決して逃げたりしない。逃げないで此処に居るのだ。
ならば私はこの人を信じて、側に居続けよう。

Comments are closed.