うっすら意識が明瞭になっていく。
周りの音がラジオのボリュームボタンを捻るように拡大し、まだまだ惰眠を貧っていたい聴覚機能を揺さぶる。有り余る睡眠欲はそれに抵抗しようと思考を掠め取るが、朝は覚醒するという人として当たり前の生理機能が嫌でも私を許さなかった。
目の裏がしらみ、瞼は重そうにのろのろと睫毛を持ち上がる。視野は広がり、部屋の天井と白いシーツが視界にに映ると、ようやく私は一日の始まりを寝ぼけ眼で迎え入れた。
「あぁねむ…」
あくびをして目を擦りながらゆっくり仰向きになる。左側の窓から差し込む朝日を全身に受けてその暖かさを存分に指の先々まで行き渡される為に。目に掛かった前髪は軽くサイドに寄せ、そのまま左手をおでこにトンと載せた。
…朝ね。
声に出してみて少し自分自身に朝であることを自覚させる。まだ覚醒しきらない体を横たえたままほんの数十秒ほど殺風景な天井をなんとなく見つめて いたが、流石に目覚めを促す光が眩しすぎて、朝焼けから背けるようにして右を向いた。こうすれば大分光は緩和される。勿論遮光シャッターでも作動させれば 眩しさからは解放されるのだが、せっかくの快晴なんだからその太陽の恩恵を朝一番にこそめい一杯楽しまなきゃと思うのだ。
まだ早朝五時、もう少し神経がしっかりするまでベッドに身を委ねていても家の住人たちに咎められはしないだろう。
「そういえば来週は人事会議があったわね…」
ぽっと取り留めのないことを頭から引き出しつつ寝返りを打つ。と、突如ベジータの寝顔が間近でどアップになり、一気にそれまでの眠気が吹き飛ん だ。いや別に二人の間には既に8歳の息子が居る訳だから、こうやって朝を迎るのはごく普通の光景なのだが、今でも至近距離で相手の無防備な顔を見ると新鮮 で刺激的に感じてしまうのだ。
日常に置いて、目付きの悪さを除いても余り表情豊かでない彼は滅多に顔の筋肉を弛緩させることはない。昔に比べれば確実に穏やかにはなってきて いるが、喜怒哀楽の楽は滅多にないし、喜の方も照れ屋なせいか未だにそっぽを向いて表現したりする。だからこういった顔を見る機会はある種家族だけに許さ れた特権であり、また貴重な場面なのだ。そもそも、誰より早起きする彼の寝顔なんて尽きっきりで見ていないとお目にかかれないし、彼の荒んだ身の上から獲 得した“寝込み姿を誰にも晒すべからず”といった習性が、親近の人間以外が近づくことを決して許しはしない。故に絶滅危惧種物の寝顔と例えてもおかしくな い。
だが逆に言えば、身内でさえあればあっけなく手に入ってしまう物とも言えるのだ。現に例の当本人は目と鼻の先で気持ち良さそうにスウスウと寝て いる。全く世界一素敵な女を手に入れたというのに、ミジンコは無理でもバクテリア位はその素晴らしさを理解してくれてもいいのだが。
険のある面構えもこの時だけは緩和され、トランクスが紛れも無くこの男の遺伝子を受け継いでいると目つきから読み取れる。更に言うと、トランク スの知性と紫の柔らかい髪は私の遺伝子を持っているからに他ならないだろう。ここからは蛇足だが―地球で一番素敵な男を生み出す為の最良の過程を私は見事 に踏んでのけたのだと、歳月を重ねるにつれて強く確信していっている。まぁその大きな声で言えたものではないが、若干道徳的観念を踏み外していた部分も、 その過程において無きにしも在らず、だが。
…確かに最初はそんな意図なんて全くなかったし、いつものノリで喧嘩別れしていた恋人と、また仲直りするまでの八つ当たり相手としかみていな かった。だけど気がつけば冷やかしのボーダーを越えてしまい、なんとなく体の相性に引きずられ、当時の恋人との冷却期間を決定的な別離へと変えてしまっ た。自業自得とはいえよりによって妊娠までしてしまったし。避妊なんてしない男と体を合わせればそんな結果なんて出る前から自明だ。
しかし我ながらスッパリ割り切る性格は、新しい相手を前にも引かなかった。ありきたりの日常に適度なスパイスをもたらしたし、その存在との意外 な関係が周りを驚かせる為の充分なサプライズになると考えたのだ。何度か寝たよしみでそれなりに孤独な男への情は育ちつつあったが、まだまだ恋愛感情より は好奇心の方が勝っていたのは事実だった。
「ほんとよく食べてよく寝るわねサイヤ人は」
そこで思わず孫君を思いだし吹き出す。孫君も確かに無防備まるだしで気持ち良さそうに寝る。寝言で食べ物の名前を口走ったり口唇の端からヨダレを 垂らしたりする部分はさっぱり似てないけれど、その辺の違いだけは王子という高貴な身分がさせるものなのだろう。この男が幼なじみのような姿をしていた ら、確実に写真に納めてやる所なのだが。
『さっさと出て行きやがれ』
けだるい事後に髪を抄かれながら眠るなんて夢のまた夢で、性欲発散の為の便利な女って認識が当時は正しかったのだろうか?苛立つ男は鋭いナイフみ たいな言葉を投げ付け、私は反発を繰り返した。よく殺されなかったと思うが、逆に考えれば既に彼も私を殺せない程度には存在価値が高まっていたのだろう。
セックス目的だけなら彼の性格からして誰でもいいはずだ。確かに潔癖だからこそ私としかしないのかもしれないけれど、サイヤ人としてのプライド が高いストイックな人間ならばそもそも感情に任せてサイヤ人でもない貧弱な異星の女を犯すなど自身が許さないのではないだろうか?宇宙人の価値観はわから ないけれど、地球における王子様という者は少なくともそういった行為を恥じるに決まっているのだから。
『ふん、くだらん。余計な口を叩く暇があるなら重力室を直せ。』
『別に貴様がやらなければお前の父親にやらせるだけだ。貴様なんぞ今ここでをぶっ殺したっやったって構わん。』
そう、なにかにつけてこの男はぶっ殺すだの黙れだの殺伐とした言葉使いしか出来なかった。生まれ落ちて30近くまで虐げられて生きてたきた彼は虐げ ることでしか相手を従わせる術を知らないのだ。だからこそ何故気が強く我が侭な私が普段の生活においては散々抵抗するくせに、情事の時だけ彼の暴力的な支 配を甘んじて受け入れるのか、彼には不可解だったろう。そしてその得体の知れなさがまた彼の不快感を煽り、本人すらその感情の出所が解らぬまま、に明白な 説明をつけられずにいたに違いない。やがて本格的に修業を始め、二年近く出て行ったきりになった。
「ん…」
ベジータが微かに体を寄せて来た。まだ暫くは夢の中だろう。なかなかあどけない顔をしている。数時間前に絡み合っていた時は快楽に必死で耐える悩ましげな表情をしていた癖に、こんなにも可愛いものになるとは思い出して比較するだけで楽しい。
じっくり見れば実に端正な顔をしている。顔を構成するパーツをバランスよく配置すればこんな感じになるのかもしれない。パーツ自体も先鋭的で洗練 されている。紛れも無くいい男の部類だ。色々とあったけれど、少なくとも今の価値観においてこの男は飛び切りのいい男で、尚且つ『私の夫』なんだと言え る。あんまり形式的な関係には自分を当て嵌めたくはないけれど、コイツにとってブルマという人間は『俺の妻』だそうだので、『可愛くて美人でセクシーで天 才な若々しい人妻』を名乗ってあげてもいいと思える。未来の私はベジータもすぐに死んで身分的には気ままだったみたいだけど、今の世界ではトランクスが学 校入学の際にまとめて父親の分も人民登録をしてきてしまったし、正真正銘名実共に『トランクスの血縁上の父親』なんかではなく正夫になっちゃた訳で。ベ ジータも『勝手にしろ』の一言で拒否しなかったんだけれど。
うん、実に読み取りやすい。素直に認めるものは認めるようになったけど、プライドに関わる部分や恥ずかしい部分は断固答えずぶっきらぼうに会話 を終わらせようとする。しつこく迫れば苦し紛れに捻くれた一言、更に追い詰めてやっと『嫌いではない』と言わせるのに一体何年掛かったか。
期待はゼロ、一人でこの子を育て上げよう、妊娠した時点で明るい家族計画を捨てた。一夜の過ちで出来た子供だ。そこに愛なんてない。運よく金だけは あるから子育ての負担は減るだろうし、悟飯くんもいる。父親について聞かれたら答えずらいだろうけど、それがマイナスにはならないだろうし私に似て人間関 係にも困らないだろう。
それが、もう一人の息子の出現でがらりと運命が変わった。
孫君を殺すだけの為に生きていた男が、その自尊心のみからしか怒りの湧かない男が、紛れも無く息子という他人の死に激怒したのだ。直後あれだけ目 標にしていた孫君が死んでしまいすぐにそっちの方に気を取られたみたいだけど、未来の息子をちゃんと見送った所を見るとまんざらでもなかったようだ。ぽっ かり開いた精神的な穴は、幼いトランクスを鍛え、セルを倒し最強となった孫君の息子悟飯君を倒せるように育て上げることで埋めようと彼なりに考えたらし い。吹っ切れたかのように幼いトランクスと修業し始めた彼は幾分か周りに対しても言葉尻を乱すことはなくなり、反発もせず、普通の会話が当たり前の様に交 わせるまでに成長した。子供の父親として合格点が上げられる程に。
だけれども、一度ぶち空けられた穴はぶち空けた本人でしか埋められなのならば?
家族が努力しようにも、絶望的なまでにその隙間は永久的に満たせはしない。
ゆっくり頬のラインを撫でる。
起こすつもりはなかったが、むず痒いのか、伸ばした手はがっしりと男によって掴まれた。
「…なんだ?」
男は寝起き一番そう呟いた。まだ眠たそうにしている彼へなんでもないと言葉を返すと、そうかと言ってまた目を閉じた。もう少し睡眠が必要ならしい。
そのまま暫し男の寝顔を観察してみたものの、間接的に放置されているこの状況をつまらなく感じて、無防備な男にいたずらでも出来ないかと知略を即 座に数パターン考えてみたものの、いざ実行しようと顔を接近させた途端、掴まれていた腕を強くひっぱられ、すっぽりベジータの体の中に納められてしまっ た。
「ちょっと!」
慌てて抜け出そうともがくも。
「どうせろくでもないことを考えていたんだろう。少しは大人しく寝ていろ。」
その一言でがっしり背中に腕を回されてしまった。こうも密着しては何も出来ない。そりゃあ悪い気はしないけれど。
「わかったわ。じゃあ大人しくしてるけど、つまんないからあんたの顔をじっと見てるわね。」
微笑みを湛えながら腕の中から見上げて告げると「いちいちくだらんことを知らせてくるんじゃねぇ!」と返って来た。本当に弄り甲斐がある奴である。そしてその弄りたがりを夜にはすっかり黙らせる方法を編み出した彼も、なかなか出来る男になったなと感心するのだ。
人生の意義に答えを見つけることは難しい。平和に楽しくこうやって好きな人間と愛し合って過ごせればいいと思うタイプもいれば、ライバルを越えることを最上に掲げる異端なタイプもいる。後者の最足る例が彼だった。
一日だけ甦った孫君との願ってやまなかった戦いが漸く叶うとなれば、かりそめの穴埋めがいかにちゃちだったか言うまでもない。彼は迷わず家族を捨 て、ライバルとの戦闘欲求に走った。わざと操られてサイヤ人としての本能を引き出し地球を滅ぼしに来た時みたいな極悪面で、孫君を挑発する為に人を殺して みせた。それを私はまざまざと目下見せ付けられたのだ。何年ぶりだろうか、殺人現場に出くわすのは?少なくとも前回は10年近く前だったろうか。目の前で 同じ仲間の腹を拳でぶち抜き、にやにや笑って死体を泉に捨て去った殺人鬼が、突如現れ時以来だ。私にも逃げれば殺すとエネルギー弾まで放って。
さぁ、あれは何処の誰だったか?目眩がした。なぜあんなに衝撃的な光景を忘れていたのだろう。適応しているとはいえ、彼の本能から”闘争”を生 涯奪えはしないのだ。食欲や性欲みたいにサイヤ人として生まれ持った生理欲求を、地球の常識や理性が押し止めていたに過ぎない。ましてや相手は並ならぬラ イバル、それと相対出来るとならば何もいらないし邪魔だてするものは全て排除する…
相手は宇宙人、理解なんて出来ない。だけど恐らくその必要もない。ただ今まで二人に在ったものを信じるだけ。裏切られたからこそだ。
簡単な事、彼が初めて深い感情を抱いた人間が孫君だった。たった一人の同朋であり仲間であり、ライバルとして執着を持つ男。孤独から、初めて彼を 引き摺りだした世界の救世主。ただし長い人生において何かしら特別な想念を抱えるようになる相手は一人とは限らない。人間なら誰しもが生まれ落ちた時から 持っているそれを、彼は死の間際になってようやく気がついたらしい。この話は後々孫くんに聞いたに過ぎない。けれど、彼はこの戦い以降、確かになにかが変 わった。不意に姿を消すことは無くなり、なにげない部分で手を差し延べてくれるようになった。以前なら無視されたような会話も、黙りこくってと振り返れば 顔を赤くして照れていたり、普通に笑う回数がどんと増えた。簡単にいうと、穏やかになった。母星を滅ぼされ、親を無くし、物心付いた憎しみとプライドだけ が生きていく術だった王子様は、ようやく愛というものに目覚めたらしい。本人に言ったらまた拗ねるだろうけど。
日が間延びしたように私とベジータを包む。くすぐったいような柔らかいような朝は、まだ怠惰な安眠を貪っても許されそうなほど暖かい。相変わらずコイツは眼をつぶったまま。そうね、もう少し二人で寝てたって誰も文句は言わないし、コイツも寝ろって言ってるし・・・
擦り寄って体をくっつける。相手は全く動じない。享受された幸せは今この寝台にあって、もう恐らく二度と離れることはない。予感ではなくて確信、このブルマさんが予想するんだから間違いない。そうして一巡した思考を切り上げて、私はまた、彼の腕の中で二度目の安眠にありついた。