彼岸

夏、
死者が年に一度だけ戻ってくるという彼岸
永倉新八は沖田総司の墓の前にいた。

それは明治もだいぶ過ぎた頃。

「・・・やっと会えたな。」

一人墓の前に立ち、そう彼は話し掛けた。
たったの25という若さでこの世を去った新撰組一番組長、沖田総司
鬼の土方に愛され、誌衛館時代からの同士として共に過ごした男

「いま俺ぁ蝦夷に住んでるんだ。うまくやってるよ。」

そう墓前で報告し、手に抱えていた花束を活ける。

「総司よ、おめぇは壬生寺に咲いてた花好きだったよな・・・
ちょいと違うけどよ、おんなじ花を買ってきてやったぞ。」

誰もいない夏の墓場に、
蝉の声だけが耳に響く

「誰も・・・今までここへこなかったんだな。」

永倉はそう呟いた。

その通り、総司の墓は辛うじて草むしりやらの最低限の手入れはしてあるだけで
供え物はなく、線香もかすかに灰となって残っているだけであった。
多分総司の姉お光がたまに手入れをするくらいで、それ以外の連中は
誰も足を運んでいないのだろう・・・。

この明治という世間は、「新撰組」という名前を出すことすら疎まれる時代。
いまや天を握る政府にとって「新撰組」は維新を邪魔立てした逆賊に過ぎないのだから。

「隊長の墓にも行ったけどよ、おんなじ様だったぜ総司よ。」

また永倉は呟いた。
聞いた話によると隊長は首なしで埋められてるらしい
哀しいかな、新撰組の幹部の墓は近づくことさえ堂々と出来ないのだ
世知辛い世の中になったなぁとつくづく永倉は思わずに入られなかった

やがて回想に飽きたのか、永倉はしばらく目をつぶって手を合わせた。

せめて生き残った俺が、最後の幹部の任務としてお前らを弔わなければならない・・・

そんな使命感を胸に秘めてまた生き続けることを彼は改めて決意し、そっとその場を離れた。

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久々の東京だから、すこし観光でもしていこうと思い立ち永倉は浅草へと立ち寄った。
昼間のしけった気分を晴らして、少しでも今この世に戻ってきているであろう
仲間たちには笑顔を見せたいと考えたからだ。

数十年ぶりというのに浅草はあいも変わらず人でごった返していた。

隅田川では館船に涼み目当ての客が乗り込み、夜市周りと若い男衆が騒ぎ立てている

「あぁやっぱりここはいいなぁ」

そう考えてふと前を見ると、一瞬よく知っている男を見たような気がした。

「まさかな。」

と、彼の脳裏にふと何かが浮んで消えた

・・・まさかここに居るわけがない。

そもそも死んでるのではないか?

もし生きていたとしたら、墓の掃除くらいしにくるのでは?

動悸が早くなる。

まさかまさかとは思うが・・・

人並みを掻き分け、その男へと一歩一歩近づく。
身なり格好は警察官。
軽蔑すべき政府の官服姿。

まさか、いやそのまさかか?

「おい。」

永倉は刀を検分していた男に掴みかかった。
一つ間違えれば喧嘩腰にも取られてしまっただろう。
だが永倉は躊躇なく言葉を続けた。

「齋藤か?!」

・・・そして男は振り向いた。

まさしくその姿は新撰組三番組長齋藤一に他ならなかった。

「えっ?」

目の前の男は細い目を丸くした。
本人もまるで化け物でも見たような顔で驚いている。

その姿に、

永倉は激怒した。

「この野郎っっっ!!」

そういうが否やいきなり永倉は齋藤に殴りかかった。
齋藤はというと歯向かいもせずに頬を酷く打たれる。

二発、三発、四発、

だが殴られるがままにされている。

「おい、あんたおまわりさんになにしとるか!」

慌てて店の主が永倉を押さえにかかると、周りにいた客達も永倉に掴みかかった。

「てめぇら何しやがるっ!」

永倉は暴れたが、多勢に不勢、すぐさま回りに取り押さえられた。

「おまわりさん、あんたしっかりしないと。暴れる男一人も取り押さえられんと笑われるよ。」

まだ息の上がっている永倉を押さえながら店の主はそう齋藤につげた。
齋藤はというと苦笑いを浮かべてすいませんと頭を下げている

「ほれ、はやくこいつを引っ立ててくれよ。いつまで俺たちに任すつもりだい?」

生粋の江戸っ子であるらしい店主は、すぐに永倉を引っ立ててくれとばかりに笑いを浮かべる。
齋藤もそれを察したらしく押さえられた永倉の手を締め上げ、腰につけたベルトで両手を縛った。

「ご協力ありがとうございました。」

そう齋藤は周りに会釈をすると、永倉を見向きもせずにベルトを持って歩き出した。

「おいっ!てめえ何しやがるっ!!」

永倉はあまりの無礼行に顔を真っ赤にして暴れようとする。
だが人の流れに押しつぶされ歯向かうことすらままならない。
そしてそうしているうちにやっと夜市の流れから外れ、人通りの少ない隅田川沿いの小道にでた。

「ふざけるんじゃねぇぞてめぇ?この裏切りもんが!!」

まず一言永倉は怒鳴った。
更にまた一言、

「政府の犬が!腐りやがって死んでしまえ!!」

止まらない悪口雑言。
だがけっして何も話さない齋藤。
その様が余計に永倉を不機嫌にさせた。

「言い訳でも一つしやがれってんだこの無愛想男が!!」

そして、
ついに言葉に尽きたらしく、永倉は地べたにしゃがみこんだ。
だがもう齋藤に顔を合わせない。

いや、合わせることすら嫌悪していたのだ。

やがて消え入るようなくらいに声が小さくなり、

「ふざけるな・・・ふざけんなよ・・・」

そして彼は涙を零した。

男なのにみっともねぇ、
そう思っても涙は止まらない

こんな男の前で泣くなんて恥さらしだ

だが気持ちとは裏腹で、涙は流れつづけた

そしてどのくらい経っただろうか、目の前の男はやっと言葉を口にだした。
昔と変わらない、感情を殺した声でぽつりぽつりと。

「・・・私はもはや齋藤一ではありません。改名して藤田五郎と名乗っています。
察しの通り、今は密偵(犬)として勤めさせていただいています。」

静かな物言い。
ただ淡々と語る様は、永倉の感情を少し緩やかにさせた。

「どう思われようと・・・俺は何もいいませんし反論もしません。
さっきの件はなかったことにしますから、どうかこのまま帰ってくれませんか?」

齋藤なりの気遣いだったのだろう。
だが永倉は到底納得は出来なかった。
幾ばくかは落ち着いた言葉を選んで、それでもやや喧嘩腰に齋藤をただそうとする

「お前は、みんなの一番近くにいながらこんな仕事なんざしてんのか?」

「墓参りもしてやんなかったのか?」

まだまだいいたいことはたくさんある
だが続ければまた怒り狂ってしまうだろう。
胸にひそむ火種を冷やしながら、彼は齋藤に尋ねた

「・・・。」

静かにうつむく齋藤
丁度月の影になり、表情は窺い知れない
だが永倉は齋藤が顔を曇らせていることを願った

「・・・どうか、このままお引取り願いますか?」

しかしその意に反して齋藤の言葉は永倉を悲しませるには十分な物だった。

齋藤は何も語らない、なにも話さない。

思わずまた怒鳴りそうになるのを齋藤は察したのか、そのまま言葉を繋げた

「どうか永倉さんお引取り願います。
駄目ならば一警官として署まで同行願いますが・・・。」

新撰組時代と変わらない、上に対する勤め方。
決して脅しでないことなど百も承知しているが、
これ以上何も聞かれたくないという配慮は十分推し量ることが出来た。

ならば尚更問いたださねば、永倉の肝は落ち着かない
すべて明らかにしないとすっきりしない江戸っ子の性が彼の追求を止めさせなかった。

「別に何処へでもブチコンだってかまわねぇ。
だが俺はおめぇがなにもかもはくまで暴れつづけるからな。」

―すごんだ声の脅し

新撰組二番組長そいうのは伊達ではない
そのくらいの勢いがなければ勤まらないものだ
そしてその覚悟についに観念したのか、齋藤は顔を上げ捕縛したベルトを離した。

月明かりが川を照らすと、艶やかに光が乱反射する
何艘もの屋形船がいっそう川を彩り、いつしかの川遊びを思い起こさせた

「俺には資格なんぞありません。」

静かに齋藤は帽子を取り、側の石段に腰掛けた
少し目を伏せて水面を見つめている

「まして皆に嫌われてもかまわないのです。」

重い言葉に隠された悲壮な決意

そして永倉は齋藤の真意を悟った
新撰組の三番組長として、
隊内きっての剣客として、
齋藤一という男が、今この明治という世で彼なりに勤めを果たしているということを―

俺とは違い、感情を一切ださない剣客
土方に言われるまま、影として人を仲間を切リ続けた
不気味な奴だと言われても臆することなく近藤や土方に従い
俺が原田と道を分けたときすらも、彼は土方についていった
そして風のウワサだが、その齋藤は土方に追い払われ一人会津で戦い続けたと・・・

なにより皆の分まで土方に尽くしたのはいうまでもなく齋藤に違いない
すべてを背負いつづけ、今も尚、「人々を守る」という新撰組の信念を持ちつづけたまま
明治政府という憎むべき相手に服従し、勤めつづける・・・

とてもではないが、俺には出来ない所存

どんなに屈辱的な処遇であろうと、皆の思いと信念を背負ったまま
齋藤は甘んじているのだ
名前を変えているのも、新撰組としれれば即刻首を切られるからであろう
警視庁といえば、維新前新撰組と対峙していた輩が要職についているはず
庁内ではさぞかし新撰組は悪党としてうわさされているだろうに
きっとそれに耐えて、ただひたすら信念という道のみをたどっているに違いない

「それ以上言うな。」

永倉は言った
この男を理解するには二言で十分だった
そして何より不器用だと思った
この寡黙な男を。

「あまり、無理をするなよ。」
永倉はそう告げた。

それを聞き、はじめて齋藤は目を細めて微笑んだ
「当たり前ですよ」と。

時とは無常にも大切な人を奪い、世の中すらも生き難くしていく。
だがそれに耐えて、残されたものは死んだ者達の心を抱えて生きなければならない―

そうしてしばらく彼らは他愛もない話をした。
齋藤は今妻と子供と共に幸せに暮らしているらしいこと
上にきに入られうまくやっていることを、
永倉は蝦夷で養子にしてもらったこと
これからも仲間を弔うつもりでいることを話した後、
齋藤はあっと何かに気付いたらしく、すみみませんと永倉を捕縛していたベルトを外した。

・・・もっと話し込んでいたかったが、もう夜も更ける

そう感じて永倉は話を切り上げた
齋藤は自分の家に泊まるようしきりに勤めたが、近くに宿を取っていることと告げ
迷惑をかけると丁重に永倉は断りその場で解散となった。

ー別れ際、齋藤は警官らしく居を正し敬礼をした。

「それでは本官はこれにて」

彼なりの敬意だった。
いまやっと一人で抱えていたものの重みが、少し減ったことへの。
それにあえて永倉は答えず、「じゃあな!」と手を振り上げ宿へと向かって歩き出した。

とふいに齋藤へと向き直ると永倉は最後にこう言った。

「必ず死ぬまで隊長や歳さんや沖田の墓参りにいってやれよ!」と

そしてそのまま彼は人ごみへと消えた。

・・・その姿をじっと眺める齋藤

だれも気付きはしなかったが、彼の目が赤くなっていたのは事後談になる。

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