キエルの休日④休暇の終わりに

広い宮殿内、キエルとハリーが執務室へ歩いてゆく。
キエルは相変わらず先ほど購入したばかりの白を基調とした少し青みのあるワンピースを着ているが、
ハリーはいつもの親衛隊服に着替えを済ませてキエルに付き従っていた。

「たまに息抜きをするのも楽しいですね。」

ハリーに見繕わせた服をこうして着ていると思うとうれしくて仕方ない。
独りよがりの擬似恋愛ゲームだとしても、心寄せている人に服を選んで貰うことはうれしかった。

「我がままは当分申さないと誓いますから、もう少しだけキエルとして付き合っていただけないですか?ハリー大尉」

後ろを振り向いて側を歩くハリーに声を掛ける。
それに対しハリーは辺りを見回すと口をキエルと近づけ、
「それは出来ません。」とだけ呟いた。

「なぜですの?」

いぶかしむキエルを横目で眺めながら、再度念を押すようにハリーはその理由を告げた。
「ここは宮殿です。これ以上はキエル嬢がいくら駄々をこねてもそれに答えることはできません。」

聡明な貴女ならすぐにわかっていただけるかと、とまで言わずともキエルが頭で理解しているのはわかっている。
しかしそれを言い聞かせねばならないほど、キエルは久々の自由に心躍らせていたのだ。

「ディアナ様、御戯れはここまでにいたしてください。」

今度は強い口調でハリーは咎める。
一瞬キエルの背中が震えた気がしたが、すぐに気丈な「ディアナ」の声が聞こえてきた。

「わかっている、ハリー。二度まで申すな。」と。

ようやく執務室の扉の前へたどり着く二人。
だがキエルは扉を開くことに躊躇していた。
開いてしまえば、また「ディアナ」にならねばならないことなどとうに覚悟していたけれど、
こうして改めてキエルに戻った時、「ディアナ」になることがこうもキエルの恋心にとって辛いものなのかと思い知らされるとは・・・。

「ディアナ様、どうかなされたのですか?」

それに止めを刺すが如く、ハリーはキエルを「ディアナ」と呼んだ。

ハリーにしてみればいつもの何気ない会話のつもりだったにせよ、
キエルの耐えゆる限界をきるものには十分な台詞だった。

「ハリー。」

「ディアナ」が背を向けたままそう言う。
その気圧されるものを感じ取ったのか、ハリーは何も話せない。
だが、そこで堰が切れたのか、「ディアナ」は肩を震わせ、声を搾り出すように必死で言葉を紡ぎ始めた。

「わたくしはディアナ様ではありませんわ・・・。」

「しかしもはや”キエル”でいることもまかりならないのは覚悟の上でございます・・・。」

泣きたい。
泣いてしまいたい。
けれども涙など見せたくない。
そんな女だとは思われたくないから。

「・・・けれども一つだけ言わせてください。」

声が嗚咽で澱まぬように。
「叶わぬ想いをこのまま抱き続けることは・・・”キエル”にとっては耐え難い仕打ちでしかありませんわ。」

出来るならば、赦されるならばこの場で抱しめて欲しい。
叶わないのが分っているから願う、悲しい女の慕情。

「それにはお応えできない。」

いつもと一寸も変わらぬその固い意思。
揺るぎ無い彼の「ディアナ」への忠誠を、この日こそ憎んだことはない。

しかし、今日のキエルはいつもと違った。
彼女の激しい気性が、この哀しい恋心と相成って普段の彼女ならば決して嘆かないような言葉を口に出させたのだ。

「大尉のお心が「ディアナ」様にあるのは分っております。
ですから・・・、ですから、せめて夜な夜なの慰み相手としてでも構いませんから
わたくしをその胸の内に掻き抱いてはくださらないのですか!」

振り返って、ハリーの服をすがりつくように両手で掴む「ディアナ」。

「大尉ははしたない女だとお思いでしょうが、せめて、つかの間でも偽りでもよいですから
わたくしの気持ちを満たしてはくださらないのですか?」

初めて抱いた感情。
自分がそれを相手に押し付けているのはエゴでしかありえない。
しかしそれは理想論であって、感情もその通りとはいかない。

「・・・”夜な夜なの慰み相手”にもなりません。」

ハリーが悲しそうに呟くのがキエルには耐えられない。
分りきった結論をこうやって突きつけられるのはこんなにも痛いなんて・・・

「私の”ディアナ”としての気持ちは叶えてくださっても、”キエル”としての気持ちは叶えてはいただけないのですね。」

擦れた声。
一網打尽に砕かれたキエルは、力無く震える手をハリーから引き離し、
再びゆらりと背を向け扉へと向けようとするが、すでに押し開くことすらままならず・・・

「ディアナ様のお気持ちを叶える、
そしてそのバランスを取る為にキエル嬢の気持ちを叶えるということは出来ません。」

ハリーの声が人のいない宮殿に響く。

「しかし貴女を追い詰めるつもりはなかったのです。
貴婦人からそのようなことを言わせてしまったのをまずはお許し願いたい。」

一体これ以上何を言おうというのだ。
扉にようやく手を置いて否応に耳へ転がり込むその声に目をつぶる。

「ご不満かもしれないが、ハリー大尉としてではなくハリーオードという一人の男として、
・・・許されるならばキエルという婦人を愛してもよろしいか?」

一瞬、何をいっているのか分らなかった。
それでも無意識に振り返って、必死でハリーの言葉の真意を測ろうと努力する。

「愛しています、キエル。」

その言葉を聞いて

―涙が出た。

溢れ出て止まらない。

ただそれでも一心に、
コバルト色の瞳は、目の前の男を揺らぎながら映し出していた。

男は無言で女に口付ける。
今度は、悲しみに満ちたものではなく。

一人の男として、あっけなく任務への責務が剥がれていくのを横目に感じながら。

「今日はもう少しだけ、キエルとしてお付き合いいただけるか?」

甘く耳元で囁くハリーの言葉に頬を赤らませながら、ようやくキエルは顔をハリーの胸元へ沈めることでそれに応える。

「ええ、私でよろしければ・・・。」

赤いバイザーは取り払われ、感情が剥き出しになった、初めて見る彼の視線に身体が熱くなるのを感じる。
再び唇を求め合うのにそれは時間など掛からなかった。

熱い抱擁、
重なるシルエット。
激しく絡みあう長い影は当分消えそうにもなく、長い休日になるであろうことを二人に予感させた。

~おしまい~

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