Make-believe play

―歪ね。

女は呟いた。どこまでが演技でどこまでが本気か?結局の所本心を押し隠したまま家族ゴッコをしている姿は、歪という言葉以上に適切な表現はない。
プライドは器の姿と中身の禍々しさとのアンバランスさが際立ち、子供なのか大人なのかまるで分からない。口調の慇懃無礼さは大人だが、声音や無邪気な残酷さは子供そのもの、エンウィーをも凌駕する。長く生き過ぎて知識と演技力だけは一人前の子役にも似ている。
そしてラースも。だれよりも人と交わるせいか、歳を得るごとにどこまでが演じているのか見分けがつかない。無言が増え、仕事以外の戯言も少なくなった。

家族ゴッコは楽しい?
その問いの答えはプライドもラースもお互い知る事のないまま終わるのだが―

話を元に戻す。
ここはセントラルの図書館。児童書コーナーの前で、少年が本を持ち寄り椅子にちょこんと座っていた。そしてその側には黒髪の女がやや驚いた表情を見せて立ちすくんでいる。
女が驚くのも無理は無い。少年はこの国のトップである人物の息子で、大概側には母親か使用人が付き添っていたはずだったからだ。それが今日はSPを除いて一人で出歩いているのだから、彼女にしてみれば十分予想外のシチュエーションであった。

「今日はお養母さんと一緒では無いの?」
珍しいと彼女が問うと、少年は答えた。
「勉強の一貫として図書館に来ているんです。お養父さんが珍しく仕事休みになったのでお養母さんは一緒に過ごすそうです。いつも僕と一緒ですから。」
はきはきと答える口調から少年の聡明さが伺える。その様が微笑ましく映るのか、彼女はこう続ける。
「そうね、たまには一人で冒険するのもよいんではなくて?」

子供を前に女は優しく言葉を投げ掛ける。
実際の所この会話の相手は子供どころか彼女の兄であり、れっきとしたホムンクルスという人外の化け物でもあるが、人目に触れる場に置いてはその限りで無い。お互い素知らぬ振りで会話をし続けるのも彼女にとってはある種のウェィットに富んだ娯楽であった。
兄に会ったのは偶然。そもそも特定の場所以外で兄弟が顔を合わせるのは仕事が一緒でもない限り示し合わせてまでする程の事でもない。
今回も仕事上のターゲットを捕捉すべく、彼女はこの場を選んだに過ぎなかった。

「お養父さんの調子はどう?」
「休まずに仕事ばかりしていて少し心配ですが、元気です。」
「最近身体が思うように動かない、なんてぼやいているのかと思ったけれど元気そうで何より。」
「お養母さんはもう歳が歳だからと心配しているんです。だから僕が早く大きくなってお養父さんの仕事を手伝いたいんです。」
「とてもよいことだと思うわ。貴方のお養父さんの手伝いが出来るように、勉強はサボらずにね?」
「むー。ちゃんとやってます!」

傍から見れば無垢な少年の模範回答そのもの。だが、彼女からすれば失笑しかねないやり取りの一つだ。間接的な皮肉がちりばめられたそれは、長兄と彼女自身の間でしか成立しえない物だからだ。
兄は強く威圧感がある。
兄弟の中でもそうそう対等に話せる者は歳が一番近い彼女と末弟位だろう。彼の末弟に対する態度は他の兄弟と違い、やや甘い。仕事の出来や態度を一番評価しているのだろうが、それ以外にも何かしら微妙な心理が働いているのかもしれないと読んでいる。けれど、それについて彼女は追及をしない。する程の興味も無い。兄弟だから、で片付けてよい話にすべきだと思うのだ。

「それしにてもSPが多いわね。」
「仕方がないです。これでも少ない方ですよ。」
「こんな調子だとちょっと肩が凝るわね。」
「はい。だから抜け出したり遊びに行ったり出来ないんです。ぼくだってたまには一人で自由に遊びたいですけど・・・」
「やんちゃ盛りね、お坊ちゃんは。あまり“お父様”を心配させない程度にね。」
「僕も馬鹿じゃないから、無茶な事はしませんよぅ!」
「そうね。私も“貴方”なら安心して見ていられる。」

少年は可愛い。己の姿の未熟さを熟知した上で体裁を見繕う。本性を知れば薄ら寒さすら感じるが、まだまだ今の姿はそういった意味でも”可愛げ”があった。

「ところでお姉さんは何の用で来たんですか?」
「内緒」
「もしかして、男の人とデートですか!?」
「半分正解ね。」
「えー!じゃあ残り半分はなんなんですかー?」
「秘密よ。」
「ケチー!」
「困ったわね。あなたのお義父さんとお義母さんだってデートするでしょう?一々何をするかなんて聞かないでしょう。」
そこまで続けると、少年はパタリと本を閉じた。閉じた本を横へずらしわざとらしく軽く溜め息を付く。やや小馬鹿にするような態度で頬杖をついてこう漏らす。
「お義父さんは仕事ばかりでデートなんてしませんよ。夜だってたまに出掛けてしまったりして。」
「あら、そうなの?」
「・・・意外そうですね?」
「意外と言うより、“彼女”も丸くなったのねと思っただけよ。」
「“丸くなった”?」
「独り言。でも、お義父さんもお義母さんも仲が良いと聞いているわ。貴方にも優しいと。」
「優しいです。お養父さんもお義母さんも大好きです。それはいつだって変わらないんですが・・・」
「居辛いという違和感をどうしても感じると。」
「そんな空気をたまに感じるだけです。」

そういえばプライドは昔のラースをあまり知らないのだったと思い出す。知らなくてよかったのかもしれない。
仕事はしっかりこなせるがそれ以外には淡白、という印象だけの方があのプライドと接するには都合が良い。お父様と近い分だけ生の感情に疎いし、そういった物程軽蔑する気来がある。・・・ラースは一見感情に乏しく見えるが、誰よりも人間に近い。利口だからそう振舞っているだけ。一人の人間に振り回されて表情をコロコロ変えるのが演技ではなく素だというのは彼女だけが知っていれば十分だ。エンウィーのように、それで末弟が仕事を放棄するんじゃないかと変な疑念を持つのが一番困るのだが、その点だけはプライドも彼女と同じ認識を持ち合わせているのでなんの問題も無かった。

少年は立ち上がり手元の本を小脇に抱えた。SPが素早く反応するも少年は笑顔で本をまた探すだけですからと制止する。一緒に探して下さいと側に居る女へ声を掛け従えると、階段で二階へと上り始めた。
コンコンと床を鳴らしながら少年は歩く。ぽつんと零しながら。
「別にどうという事でもありませんが、たまにアレがラースと二人で話をしている姿を見ると、なんともいえない気持ちにはなります。」
「アレは俗に言う良い母親です。今まで色々な人間と暮らしてきましたが、そうなんだと思います。」
続いてカンカンと、段差をヒールが噛む音が付いていく。

「良い母親、ね。」

「それは貴女も認めているのではないですか。」
「あまり彼女の事は分からないけれど、なかなかの良い女だとは思うわ。」
―それでこそラースには初め手に負えない程の。
「<女>ですか。」
深く息を吐きだす兄に、妹は説明を加える。
「良い母親かどうかは貴方が決める事。私はあくまで、夫の身を案じ子供を大切にする細やかな気付かいのできる素晴らしいファーストレディーだという噂でしか彼女を知らないから。」
言葉に、少年は食い付く。
妙に反応を示すその姿を見て、今日は珍しく饒舌ねと彼女は思った。

「だから良い女だと?」
「良い女と良い母親は違うわ。小難しい話は止めましょう。」
「貴女が言いたい事は分かりますが・・・」
遮り口を挟む。どことなく的を得ない少年を見据えて、ラストは指摘する。
「―あまりそういった目で彼女を見たくないのでしょう?だから違和感がある。」
僅かに緊迫が走った。
女を見つめていた少年は無言になったが、やがてためらいながらも重い口を開いた。
「このような入れ物ですが、私は中身まで子供ではありません。しかし時にこの姿は直情的な物を目に入れる瞬間が多い。」
「あまり嫉妬のようにあからさまな感情を周囲内外に置きたくないのです。」
初めて吐露される少年の心の一片が、妹の前で零れ落ちて行く。
「耳障りな声、貴方は嫌いだものね。だけれど、今はそういった環境から排除されているのでしょう?」

「ええ、だからこそ、小さな波も機敏に感じるようになったのかも知れません。」

ラースがプライドに懐き、プライドがラースに甘いのはゴッコ遊びのせいだけではない。昔のプライドはこんな話など滅多にしなかった。理解はしていてもいざ強い感情を差し延べられると戸惑ってしまう・・・以前のラースとまるで一緒だ。そんな兄弟だから、好みが被るのも仕方がない。
プライドの事、彼女が言わずとも頭ではなんなのか理解しているだろう。ならば敢えて口にするものではない。
彼の自尊心を無暗に傷付けるのは好ましくないと本心から思ったからだ。

「気付いていたのね。」
「ええ。父上やエンヴィーには黙っていますよ。」
「それに・・・私も、嫌いではないですし。」
「それは初耳。」
「ナイショですよ?お姉さん。」
「わかったわ。だから私の相手もナイショよ?セリムお坊ちゃま。」

背伸びをして本の背に指をかけ引き出そうとする少年の背後から、腕を伸ばす。取りたがっていた本を手に取って渡すその前に、タイトルが目に入った。
「人魚姫」だ。人魚が人間の王子に恋をする話。

「この話は色々なあらすじがあって面白いんです。」

子供に戻ってページをめくるプライドを横目で見つめながら、絵本の結末を思い返す。いくつか違う筋書きが存在はするものの、どちらにせよこの話の結末は願望叶わず自らの身すら儚く消えてしまうというもの。人魚は人になれず、想いも遂げられず死ぬ。人魚のまま生きていれば、人や愛など知らなければ、幸せで居られただろうに。
少年に”萌芽”の兆しがないことを心底女は望んだ。ゴッコ遊びは児戯だから面白いのだ。本気になってはいけない。兄ならば理解しているはずだと彼女は自身に言い聞かせる。長く生きているのだから切り分けられるはずだと。

―そう、歪でいい。歪だからこそ、人魚は人魚で居られる
少年が本を読み始める姿を見守る。もう彼女にそれ以上出来ることはなかった。彼ら二人ならば適度にゴッコ遊びを楽しめるはずだと信じることしか、残されてはいなかった。

残念ながらこの時点で既に彼らの計画は大きく”人”に狂わされていたのだが・・・「家族」という”人”にあこがれた人魚は、奇遇にも死して人としての安息を得ることになる。それは彼女すらも予想だにしなかった答えを持ってして、人魚は”王子”からの愛を得る。

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