「ディアナ様」
無機質な、時に事務的な声が私を呼び止める。
呼び止めた相手は悲しい程惨めに心奪われたつれない男。
おのの目を真紅のバイザーで覆いその表情は洋としてしれない。
「なんなのです?」
日々繰り返される同じ言葉のやり取り、あと何万回そう答えればいいのだろうか?
愛おしいという気持ちも積もり募ればやがては憎しみにもなってゆくのですよ...。
この白に塗り潰された城は地球のものと違い、まるで機械仕掛けの砦。
気が触れそうな静けさは墓場すら思い起こさせる。
・・・あぁ、私はここに骨をうずめるのですね?
もしくはいつ覚めるともしらないコールドスリープて生命の停滞を迎えるのでしょうか?
いつものように書面の報告と形式的な方策の許可申請。
判断し最良と思えるものに判断を下す作業。
半ば機械的と化した作業は気が沈んでいる時ほど憂鬱さを増長させるすべとなる。
「ディアナ様?」
私の微々たる気持ちにでも気がついたのか、ハリーが疑問形で私の”名”を呼んだ。
「その報告は先程ミランから受けました。
良い方向へ取り計らうようすでに指示は出しました。もう下がりなさい。」
このような態度は公務へ携わる人間として相応しくない。
もう目の前の男の姿が見たくないというだけで追い払うとは。
きっと今日のわたくしはどうにかしているのだ。
一瞬で目まぐるしく変化する感情。
ハリーに見透かされるのが恐くてそのまま背を向けた。
「仰せのままに。」
言われるがまま、膝まづき頭をたれるハリー。
早く部屋を出て行って欲しい。
孤独な心は孤高な心へいつか昇華されるならば、今すぐにでもそうなればよいのに。
でなければこんな気分の時は弱音を吐いてしまいたくなる。
シュッ
扉の開閉音が聞こえ、ようやく”ディアナ”は肩の力を抜いた。
一人の時間、唯一自分に甘えられるひととき。
「わたくしはねむらねばならないのでしょうか...?」
キエルは自嘲する。
自身が選んだ道を。
覚悟は決めていたが、人間を捨てることまでは心の準備などしていなかった。
周りは何も話さないが、かつてのディアナのように体内にナノマシンを
注入せねばならないであろうこと・・・今後他の人間のように年を取り続ければ
事情を知らない者達に疑惑の念を持たれるだろう。
それを回避する上でのしかるべき対処が肉体の老化防止処置。
自分の身体が活ける標本になっていくのを想像すると恐ろしい。
もっともハリーやミランは「身代わりの女王にそこまで背負わせるべきではない」
との良心から、身体の健康に関する一切の管理はすべて極秘扱いで管轄外に漏れぬよう
ファイルのアクセスにロックを掛けているのだが。
「月と地球の為に尽くそうと誓いましたが・・・」
「かといって眠りに付く勇気も私には無い。」
親が、妹が、親友や部下、
愛する人達がいない世界など想像に絶する。
一般のムーンレイスのように家族が冷睡により別れて暮らしているのが当たり前ならば、
まだ苦しみは緩和されただろうが。
「その時は私もお供させていただきます。」
突然予想だにしない部下の声にキエルは驚く。
「いつからそこにいたのです!?」
振り返り、今までの独り言がすべてハリーに聞かれていたことに気付く。
しまったと思った。
「申し訳ございません。お許しを。御気分がすぐれないようでしたので退室した振りをして様子を伺わせていただきました。」
嫌な位この男には見透かされてしまう。
だけれど弱みなど”ディアナ”として、一人の女として決して見せたく無かったものを、たった今見せてしまった。
「無礼な。女の独り言を盗み聞きとは。貴公はそのような不粋な趣味をもっているのですか。」
恥ずかしさから逃れる為に憤りを目の前の男に向ける。
が、すぐに聞かれてしまった事はどうにもならないと悟ると、
今度は急に空しさに捕われてしまう。
心の吐露。魂の悲鳴。
すべて解き放てられればよいのに、かろうじてそれは自身の芯の強さが咎めた。
「そのような事を申してはなりません、ハリー。そなたは私の、そして”女王”の意思を一番知っている人間です。私が眠りに付いた後も、フィルやミランが奸計を図らぬよう監視し、月と地球の平和を見届ける義務があります。それが”ディアナ”の意思を守る親衛隊の役割でしょう?・・・私は月の未来を、未来永劫見届けなければなりません。」
それがディアナ様がなさってきた事。
女王である以上そう簡単に自らの役割を放棄してはならない・・・。
「あなたがそこまで月の未来を背負う必要はありません。」
扉をロックし、室内のセキュリティを上げると、ハリーはキエルに対してそう告げた。
「確かに我々は貴方に女王であることをお願いした。しかしかつてのディアナ様のように”自身の幸福”を削ってまでそうであって欲しいとは思いません。」
その姿は昔騎士が仕える主へ忠誠を誓う姿そのままに。
「”ディアナ”様の御意思が我々の意思、なんなりと命令を。」
その姿に、心が震える。
が、しかし。
「頭をあげなさい。ハリー。そなたの意見は参考にはしておきましょう。」
ついて出たのは”ディアナ”としての言葉。
時にキエルは自らを苦しめるようかのような発言をする。
”ディアナ”様がそうなさったように、私も月の<未来の苦しみ>を背負っていかなければ―
「私を一人にするおつもりですか?」
再度ハリーの言葉が”ディアナ”の胸を貫いた。
それは、ハリーが一人の男としての・・・
「私は貴女をお守りするのが役目。嫌とおっしゃっても付いて行かせていただく。」
余りの強いハリーの物言いに初めて気圧される”ディアナ”
「偽物の女王の為にそのような事を申さないでください、大尉。」
「そんな事を聞いてしまうと、」
言うべきではないと”ディアナ”は躊躇するが。
「あなたが私を好いてくれていると錯覚してしまいます。」
目を伏せて玉座に座るキエル。
苦し紛れに出てしまう女心が、半ば無意識的にハリーを黙らせられるだろうと
いやしくも思ってしまったにも関わらず。
ハリーは。
「ディアナ様としてではなく、キエル嬢としてもお守りする理由が必要ならば・・・あなたを好いていると理由では不十分か?」
その真っ直ぐな言葉に、もはや”ディアナ”が反論する余地は消えうせてしまった。
「・・・いえ、充分です。ハリー。」
泣いているような笑っているような複雑な、それでいて爽快な気分の”ディアナ”の顔付き。
「すべてに句切がついたならば、女王制の廃止を検討します。もしそれが叶わなければ・・・」
階段を降り、ハリーの目の前に立って月の女王はようやく言うことを許された言葉を口にだす。
「ハリー、私と共に付いて来てくれますか?」
その問いに、問われた男はひざまづいて。
「はっ、仰せのままに。キエル嬢」
差し出された女王の左手を握り、その甲に口付ける・・・
騎士と主たる女王の新なる盟約が交わされ、再び世界は活気付く。
千年女王は心に願う。
どうか月と地球にに平和を、
そして私たちの前途に、幸あらんことを。