喧嘩をした。
口を聞いてないし顔も合わせていない。
食事の準備もしてやってないし重力室の調子も知ったこっちゃない。
大声で出て行ってと怒鳴り顔をひっぱたいてやった。プラス、そんな程度でダメージが与えられるなんて思ってないから、重力室のブレーカーを落として配線を全部引き千切ってあげた。
案の定あいつは即座にこっちに背を向けて、すたすた足早に視界からフェードアウトした。
あれから二ヵ月、もしかしたら自分の部屋にでもいるのかもしれないが、肝心の重力室が使えないときてるからとうにこの家から出ていってしまってる だろう。だとしたら清々する。これであいつに都合良く顎でこき使われる生活とおさらば出来るのだから。一つ一つこのブルマさんが自らの頭脳と技術を行使して戦闘マニアの要望に答えてあげてやってるってのに、せっかく作った物をすぐに壊しては私に文句を言うんだから腹が立つ。せっかくの夕食だって目の前でガツガツ食べ漁る姿を見せ付けられたら見苦しくてしょうがない。そうよ、視界から、この家から、存在自体が消えてくれたら万々歳。平和だった日常に不愉快な雑音を混ぜたのはアイツなんだから。
ええ、すっきりした。どうせならあいつがここに居たっていう過去も消してしまいたい。あんな奴に身体を許したなんて本当に気が違ってたとしか思えない。ひとつ思い出せば芋蔓式でどんどん怒りも増して行き、簡単なエアバイクの修理すら集中出来ずに手が止まる。
仕事にならない。
おまけにトランクスが泣き出して、苛立ちは沸点に達した。
その週はやたら忙しくて、昨日は商品開発の企画プレゼン視察、今日は学会で粒子変換可能な素新材についての発表会が有って、明日は明日でカプセル販売チェーン店の店舗拡大に関しての重役会議が控えているような状況だった。エリアマーケティングの分布図を机に広げたままビーカーとスポイトを手に持ち遠心分離機とにらめっこをし続けるのは当然徹夜二日目の午前には堪える。それでもコーヒーを胃に流し込み冷たいシャワーを浴びて眠気に活を入れるのは全部手を抜けないからに他ならない。血色のやや落ちた肌もメイクで補って普段と変わらない『社長』の体裁を取り繕う。食事だけはちゃんと食べているから体力だけはバッチリなはず。
さて今日も一日行ってみようと部屋を出れば何日かぶりにベジータと行き違った。仕事が仕事だけに煮詰まっていて生活も不規則となれば当然彼と顔を合わせるタイミングもなくなるから、こんな風に顔を合わせるのは珍しい。ちらりと目を合わせて挨拶代わりにし、迫る出勤時間に追い立てられるよ うにそそくさとその場を後にする
―しようとした時だ。
相手から声が掛かった。
何?と振り返ればあっちはこっちを向いてあっさりと自分の用事を切り出した。
「重力室だがもっと改良を加えられないか?」
物言いは普通だった。あくまで提案に近いような依頼だった。強制ではなく彼なりに改良を考えた結果を提案しているに過ぎない。喧嘩を売る意図もないし、純粋な希望を述べただけなのだろう。時計を見やり、明らかに差し迫った秒針の動きに合わせて私の忍耐も限界に接近していく。
要は精神と時の部屋みたいに重力室の設定に酸素濃度の増減、室温の上下動も付けられないかということらしかった。端的に要点を話す彼の話し方は研究所の所員たちにも見習わせてやりたいくらいだが、気の立った私には会話自体がそもそも妨害でしかなかった。
「あのね、少しはこっちの都合を考えなさいよ。」
まず相手の話を全て打ち消した。前提が違う。私は忙しいだから話しかけるなと、そういう思考回路しかなかった。微かにとてつもなく酷い事をしてる 自覚は有ったのに、だからこそ私はベジータに、声を張り上げてまくし立ててしまった。
「朝早くからの一声がまずそれな訳?こっちは徹夜明けで疲れてるの。少しは労ってくれたっていいんじゃない?」
声に鬱積した感情が自然と篭る。ぶつけられる相手がこいつしかいなかった。ヤムチャだったら必死になって慰めてくれるだろうけどこいつにそれは期待できない。それでも私が唯一思いのまま吐き出すという”甘え”を見せられるのは、目の前の男だけに違いなかった。
それがそもそもの間違いだ。期待してはいけないと頭で分かっていても女心は未練たらたらだ。
結果、・・・口論が起きる。
「うるさい!」
耳を塞ぎ、頭を両手で押さえた。何が楽しくてあんな奴の子供を生んで育ててるのか、マイナスの感情ばかりが私を襲い、居ても立ってもいられず手に持っていたナットを振り飛ばした。行き場を失ったそれは鈍い音を立てガンと床に落ち、石みたいに動かなくなった。一瞬静まり返るも、トランクスの泣き声は 烈火の如く激しくなった。
―うえぇぇぇん!うえぇん!
雑音に過ぎなかった周囲の音が不意に現実味を帯び、隔離された世界を焙り出す。これがリアルなんだとその声が私を揺さぶり、求める叫びが私を正気に返した。慌ててベビーベッドに駆け寄る。すぐさまトランクスを抱き寄せてごめんねと呟いた。そうよ、私は母親なのよ、あんたのことだけ考えてあげないとねと。だいぶ大きくなって来たし、夜泣きも減った。そろそろ離乳食かしらとなにげなくカレンダーを見遣り、
私はそこで、自分の愚かさをまざまざと見せ付けられる羽目になってしまった。
・・・忙しかったから、と思うことにしていた。いや、唯単にめんどくさかっただけ。昔から私はそうだったと。だがしかし、トランクスが生まれてからというもの、一日一日の確認を怠ったことがなかったのは、キッチンの料理メモで弁解のしようが無いほど自分自身で解り切っている。もう3月だというのに未だ1月の月表示のままで放置されている壁のそれが、痛恨のミスをしたと教えてくれた。
私としたことが、馬鹿馬鹿しいことだけれど部屋のカレンダーをめくっていなかったのだ。
あの日から。
その事実に今更気がついて頭に昇っていた血はどこへやら、情けない気持ちが押し寄せる。天才で金持ちで美人な女なんだから、すっぱり忘れて割り切れるはずなのに。一人で強く生きてくと、とうに決心していたはずなのに。
ラジオを付ける。チューナーを回し、流行歌が流れているチャンネルを選局する。ラジオを付けて三曲目、明るいアップテンポの曲が流れてくる頃にはすっかりトランクスも落ち着き、腕の中で眠りに落ちていた。起こさぬようにベッドに寝かせると、私は一人の世界に戻り、中断していた修理を明日に回すことにして部屋の電気をそっと消した。椅子の上で膝を抱えて座り、窓の外の明かりをぼんやり眺める。ラジオの時報が深夜0時の時を知らせ、やや懐かしいラブソ ングが流れだす。なんとなく聞いていると、それでこそ走馬灯みたいに喧嘩する前の記憶が脳裏を掠めて、こうしてる自分が惨めになってくる。冷蔵庫を背にしてキスしたことだとか、ソファーの上でじゃれあったことだとか、シャワールームの前で愛しあったこととか、その全てを思い出して。
会わなくなって、どのくらい経ったろう。一緒に過ごした日々の方が長いのに、別れた後の月日の方が遥かに早く過ぎていく奇妙な錯覚。
今更になって、会いたいくせに。
立ち上がり、ラジオを切った。ラブソングなんて聞きたくない。ぷつんと音が断たれると、我慢が切れたように目から涙が溢れた。
…間に合わないかもしれないけれど、あいつに謝りに行こうって。
怒鳴り散らされ、あろうことか重力室をぶち壊しやがった。全く訳がわからない。やることが無茶苦茶だ。余計なことばかりしやがってあの女は面倒だ。 ここの所は大人しくしてると思っていたのに、少し話掛ければすぐこうだ。
考えてみりゃ最初からうるさい女だった。喧嘩腰でしか話をしない。こいつの父親の方がその点利口だ。おかげでこっちもイライラして何度罵り合う羽目になったが。余計な手間をかけさせられて修業の邪魔をする気かとさえ思ったが。
なんでガキなんか作ってしまったのか、頭が痛い。俺のガキだとしても勝手生もうが育てようが関係ないと思っていた。それが未来からもう一人トランクスがきやがったせいでそうもいかなくなってしまった。俺は奴と修業をし、ブルマは人造人間の解析修理にかかりっきりになったのは別にいい。だが俺とブルマの間で妙に気を使ってやがるのが、かえって要らん漣を立てられているようで落ち着かない。わざわざこっちの様子を伺うんじゃねえと喉の奥から幾度と出かかったが我慢した。別に…ブルマとの空気を読まれる筋合いはない。だが少なくとも女と俺の間にガキが存在する以上居心地の悪さからは逃れられなかった。
お互い必要な時だけ関わる、それ以外は触らない―暗黙のルールはトランクスの存在で破れ、無意識の内に父親としての役を振られた。やりたいことだけやってればいい、その以前と変わらないままの振る舞いが女の癇に触ったらしかった。
「一体それが俺にどう関係あるんだ?」
そう答えただけなのに、次の瞬間には平手打ちが飛んで来やがった。
「あんたは修業してるだけでいいでしょうけど、私はトランクスを24時間面倒見ないといけないのよ!会社の仕事もある!重力室を強化しろだの戦闘 服を改良しろだの、揚句に私の睡眠時間削って抱かせろって…あんたなんかセルに殺されればよかったのよ!」
瞬時に顔をひっぱたいた腕を掴む。まるで話にならないからだ。俺にはそんな事情なんざ関係ない。
「だからどうした。お前の都合なんざしったこっちゃない。」
抑揚を付けずに返すと、女は怒りのあまり言葉を失ったらしかった。唇を噛んで震えている。…これ以上なにを言っても怒鳴りちらすか泣かれるか結果など知れているから、ややこしくなるまえに腕を離してさっさと退散する。どうせ明日になれば機嫌をケロリと直してるにきまっていやがるからなと。
「俺は好きにやるだけだ。」
掴んだ手首を放す。ブルマは振り払うようにパッに腕を自分の胸元へ引っ込めた。キッと睨む目は微かに潤みはじめている。緊迫した空気が緩み、案の定ブルマは”炸裂”した。
「あんたなんて嫌いよ!だいっきらい!」
「あんたのご機嫌取りじゃないんだから!」
こっちも同感だと言い返したかったが、なんとなく反論する気が削がれた。これ以上泣かれる前に退散しようと女に背を向け、自室へ歩き出す。こんな状態で女を放置するのはどうにも胸の辺りがぬかるんだままになったようですっきりしないが、そんなことより面倒を避けたい気持ちの方を俺は優先した。こんな状態じゃ重力室なんざ使えない。…結局ブリーフに頼もうとしたが修理に二日かかると宣告され、あの女にはやはり一言言い返しときゃよかったと後々躊躇した自分にムカッ腹がたった。
ブリーフから修復の目安日を聞いてそのまま直るまで我慢する事も出来たが、カプセルに家にあるありったけの食料を詰めて出ていってやった。重力室をぶち壊したことを少しは反省しやがれと腹の中で罵声を浴びせながら。どうせ冷蔵庫と食料庫を全て殻にしてやったって対した反撃になりはしないが。
そうしてカプセル一つで飛び出したものの、一ヶ月して食料が尽き狩りをして腹を満たすようにやってくると、特に技を開発するでも無く、とうに馴れた岩だらけの酷暑環境でたるい重力を持て余しているのが馬鹿馬鹿しくなってしまった。恐らくとっくに重力室はブリーフの手で直されているだろうが、なんとなくあの女と顔を合わせたくない。だがこのままダラダラルーティンワークを続ける訳にもいかず、あくまで修業のメニューを変えるだけだと念じるように言い聞かせて久々自室へ戻ることにした。
夜分、寝静まってる時間を見計らって窓を明け部屋に降り立つ。ざっと見た所どの部屋も明かりはついてなかった。まぁ広さだけは尋常じゃないこの家で 夜に物音を立てたところで誰も気がつきはしないが。
一先ず衣服を剥ぎ取るように脱ぎ捨てシャワールームに入る。熱い湯は強張った身体をほぐすにはいい。なにより落ち着く。都市の無機質で外界から遮断された部屋は昔の環境に近く、例えそこに他の住人がいようと隔離された安心感がある。密閉された箱の中とはいえ外の状況はテレビだのなんだのでいくらでも把握出来た。
そもそも辺境の星のニュースなど、俺にとってたいした物ではないが。
ライトを消し、架かっていたタオルで身体を拭く。予め置いておいた部屋着を手に取って着替えるとそのまま窓際のベッドに横になった。暗くて視界は悪かったが、暫く天井を見てるうちに目がなれた。街の光でもそれなりに部屋の中が見渡せるようになる。おもむろに頭の後ろで組んだ手を動かすと、ふと肘に触れた感触があった。確かめるべく左手を延ばすと、それが無造作に置かれたテレビのリモコンであるのに気がついて、ニカ月近く前にここを出て行ったままの状態であることが確認出来た。
自室を弄られてはいない―弄るような相手もいないが何故かほっとしている一方、変化の無さが時間の経過を一気に喪失してしまったようでどことなく落ち着かない。それどころか出て行った当時の状況まで脳裏に甦って来て、おもわず奥歯を噛みしめずにはいられなかった。
―あの女
どうあがいてもあの女の存在感が体内から消えない。恐らく自分のガキであるトランクスと同じように。捕われているつもりはないが、本質的な部分で無視するには踏み込まれ過ぎたか。カカロットが死んだ以上だらだらここに留まり続ける理由はない。だがここへ戻ってくるのは環境だけか?
…トランクスがセルに殺された光景を思い出す。衝動的に沸き上がり付き動かしたものの正体がなんなのかわかってしまっても、それを一蹴出来なくなったのは。あれの可能性を見てみたい、どれだけ成長させられるか手ほどきしてやってもいいという意向に自然と傾き始めたのは。ちょうどやることも無いし、少しでも興味をもったならやってみるのも悪くはない。周囲の雑音やあの女の声も、少し名残惜しいくらいには感じられるようになったから。
そのままリモコンをデッキに向けて適当にチャンネルを変え再生ボタンを押す。元々この大掛かりなオーディオシステムはブリーフが勝手に付けたものだ。初期設定のまま弄っていない。ごちゃごちゃした煩雑音も多いが、修業の気晴らしに聞くようになった曲もある。浸るつもりはないが、テレビのニュースみたいに一字一句耳が勝手に捕らえてしまう。
全く馬鹿馬鹿しい。くだらん。久しぶりに静かな夜を過ごせるというのに、
―なぜ字面が頭から消えないのか?
静寂の中、誰かが部屋へ近付く音がする。気のせいだと思いたかったが、聴覚がそれを許さなかった。誰が歩いているのかは、嫌というほど瞬時に想像がつく。きっとドアを叩いて入ってくるだろう。部屋の鍵をロックすることも出来るが、やめた。
側のリモコンを切って放置する。
目をつぶって、そいつがくるのを拒まずにいるのは、ただなんとなく今日はそういう気分だったからだと。
そういうことにして、ノック音が聞こえるまでの数秒を待つことにした。