人の肌を求める行為は心地良い。
自分とは違ったやわらかい身体がかつてこんなにも愛おしいと思ったことはなかった。
抱きすくめてその唇を塞ぎ、吸う。
力を入れれば壊れそうなその感触に溺れそうな自分がいた。
白いシーツの上に押し倒し自分の肌の下に女を組み敷く。
女はされるがままを受け入れ、手を繋いだまま深いキスを交わした。
頭がまっしろでなにも考えられない。
ただ、窒息しそうな熱に包まれながら、それはこの女を欲してやまないからだと知る。
名残惜しくも次へと進む為に唇を離すと、いつもは気丈な女がゆっくりと眼帯をなぞった。
「私は、貴方をしらない・・・」
そう、か細い声でつぶやく。
・・・いつもは決してこんなことを口する女ではない。
常日頃からこの眼は潰れて見せられないと告げている。
女はそれを守り眼について追及することはなかったというのに。
「知らなくていい。」
触れた手を掴みそう伝える。
そう、
―知らなくていいのだ
この女は何も知らない。
私が人間でないことも、半ば利用する為に近づいた事も、今この瞬間すらも騙しているという事実も、なにもかも。
これ以上しゃべれないように今度は荒々しく口を塞ぐ。
忘れさせる為に、身体を快楽へ導こうと。
そこで男は気付く、女の瞳に何かが灯っていることに。
「どうした?」
そういって言葉を掛けても女は黙ったまま首を振る。
「・・・嫌なのか?」
なにも答えない。
暫く女を見つめていると、雰囲気の重さに耐え兼ねたのかようやく女は口を開いた。
「もっと知りたい」と。
髪を撫でつけながら、女の視線が自分の左眼に集中していたことを悟る。
これだけは”知られてはならない”かつてそう誓った。
明らかに人間の物ではないこれを見られれば・・・。
「もし私が人間でなかったらどうする?」
そう尋ねた瞬間女の瞳が曇ったのを見逃すことは出来なかった。
こうしてさらに追い撃ちをかける。
二度と聞かれないように。
「”本当の私”は冷たいかもしれないよ?」
耐え切れなかったか、女は一瞬眼を閉じる。
だが、しかし。
「それでも貴方が好きだといったら、貴方の傍にいたいといったら?」
女が口にした言葉は予想に反したものだった。
この女は本気で自分を愛していると気付くのには十分な台詞。
どうやら私は大変なミスを犯してしまったらしい。
「知ってしまえば引き返せなくなる。知らなければ良かったと後悔する。」
女に言い聞かせながらそれは自分自身のことだと思う。
今から自分は何をしようとしているのか、そしてその愚かさに我ながら哀しくなる。
女を手放したくないといつしか本気で思いながら、自ら手放そうとする行為、
いっそ自我をなくしてくれと叫びたかった。
・・・やがて無表情のまま眼帯に手を掛ける。
秘密をばらせば即座に殺さねばならないと知っているのに、ただこの秘密を「この女」と共有したかった。
矛盾する心に戸惑いながら、その眼の封印を今ここに解き放つ。
もどかしい動作、微かに震えた指先、これだけの作業になんと時間がかかるのだろう?
ようやく紐は解け眼帯は滑り落ち、それでも咄嗟に眼をつぶる自分がそこにはいた。
-恐かった。
女の反応が恐かった。
見せた瞬間、どうなるか?
暗闇に潜む本質がゆるやかに侵食を始める。
その前に、
いっそ”犯して”しまおうか?
とその時、女が顔を近づけ閉ざされた左目の瞼をちらりと舐めた。
そうしてそのまま両手を頬に当てる。
・・・逃げないから。
女から意思が伝わる。
もし”逃げてしまったら無理にでも捕らえて”と。
視野が開け、女がよく見えた。
「・・・これでも私に抱かれたいと思うか?」
蛇を象る不可思議な文様がじわりともれる光を反射させる。
異様としか言えない片目の気味の悪さが、この瞬間男を全く”別の者”へと変えてしまった。
左眼はすべてを映す。
動揺も瞬きもなにもかも、この眼の前では無意味となるのだ。
「もう君にやさしくしてはやれない」
そう告げる。
怒りを司る私に触れたものは、皆その焔で焼き払われる。”焼き尽くしてしまう”
・・・今ここにいるのは人間ブラッドレイではない。
憤怒のラースという抑制の効かない「ホムンクルス」だ。
初めて両の眼でみる女の裸体に目が眩み、かつてないほどの欲情に自分の闇の深さを知った。
いつもとは全く違う、荒々しい愛し方。
何度も貧られ、一見独りよがりで動いているようにも見えるが、正確に寸分の狂いもなく感点だけを突く。
抗えず、ただされるがまま何度も女は気が遠くなりかけた。
素直に欲求を向ける男の姿に、女は思った。
別の男みたいだと、むしろ”これが本当の姿かもしれない”のだと。
だけど、こんなに純粋にがむしゃらに求められているという事実が、どうしようもなく嬉しいともまた感じた。
一見酷く殺伐とした目、ただしその奥にどうしようもない高ぶりを押し隠しているヒト・・・
彼女なりに最後まで受け入れようと決意していたのだが、5回目の抱擁でそのまま気を失ってしまった。
力が抜けるのを感じつつ”足らず”に中で膨張する目の前の男を感じ、
無意識のまま背中に爪をたてて彼女は逝った。
意識が切れる瞬間耳元に発せられた、毒々しくも甘ったるいその台詞を脳裏に焼き付けて。
「・・・いしているよ・・・」
無意識の内そう呟いた自分に驚く。
イトオシイ、スベテホシイ、ソレデモマダタラナイ・・・
食い尽くし死んでしまった獲物から、それでも飽き足らず離れられないということ。
人間の忌むべきもっとも退廃的かつ陳腐な異性を愛するという情、
それにどっぷり浸かってしまうという愚かな事態をこの上なく幸せだと感じる私は、気が狂ってしまったのだろうか?
繋がったまま、おもむろに女の呼吸回路を全て塞ぐ。
酸素を供給しようとようやく息を吹き返した女に「まだ足りない」と宣告し、再びかじりつく。
無抵抗の女は息も絶え絶えながらか細く甘い声しかだせなくなり、それでも求めに応じる。
「もう逃れられないよ、私からな。」
脅迫めいた言葉なのに、この女の前ではまるで意味をなさない。
この女の体温と柔らかさは、あまりに暖かくて心地が好かったから。
―何度も一つになって、愛し合う。
例え何もかも偽りで固められたとしても、一つだけ本当になってくれればそれ以上は望まないと女は思う。
なぜならば、この人を愛するという罪に溺れたのは私だけでなく、
あなたという”ヒト”―も共犯者なのだから、と。