それに気がついた時は既にこの身は人でなくなっていた。
信じていた夢は崩れ、運良く生き残ったが為に名を与えられ、実験体から有能な駒に繰り上げられたに過ぎない。
「ラース」も「キング・ブラッドレイ」も便宜上の呼称で、皮を剥せば名無しの個体が虚ろに残るだけだろう。
『お父様』の意思を理由に科学者は同族すら好奇心という名目で残虐な探究の材料にする。人であっても人で無くなっても、彼らにしては実験体以外の何者でもないのだ。モルモットとして捉えられているにすぎない。それは実験が成功してもだ。稀有な成功例として以前よりも扱いが丁寧になるだけで、本質は変わらない。ケージが取り払われ放し飼いになっただけの違いだ。
勿論貴重な成功例として大切に扱われるようにはなった。何かを欲す前に何もかも与えられ、不便はない。だが、欲しいという欲求を忘れてしまいそうになるほど物は手に入り、力も権力も何もかも懐へ収まるにつれ空しさが心を煽った。
今にして思えば父上を恨む事も思い付かない程、純粋に培養されていたあの頃。突然全てを奪われた自分には訳も分からず流される事以外、生き様が無かった。強欲のような選択など、蚊帳の外だったのだ。それが不幸とも幸せとも分からない。今更、人生にもしもはない。
あの痛みの最中、神などいないと知った。同情も憐れみもなく、ゴミが人知れず暗闇へ投げ捨てられるだけの出生。死んでも構わない利用される為だけの『人』である自分をまざまざと見せつけられ、目的も人間であるアイデンティティーも失ってしまった。
救いはない。誰も救ってはくれない。
神とは弱った人間が縋る為に用意した想像上の偶像でしかないと学んだ。
そんな実験動物でしかなった私を、誰が拾いあげたか?
「はじめまして、ラース」
対等に、軽蔑も罵倒も嘲笑もなく扱ってくれたのは。
―紛れも無く、彼らだった。
「挨拶が遅れましたね、君がラースですね。私がプライドです。あまりここでは顔を合わせないかと思いますが、仕事中は宜しく頼みますね。」
一見利発そうに見える年端も行かない少年。
「なかなか良い子じゃない。聡明そうな顔をしているわ。まだウブな感じだけれど、久し振りに素敵な弟が出来て嬉しいわ。」
スレンダーなラインから豊満な胸や腿が露出した美女。
隣には中性的な出で立ちで身軽そうな10代前半かという少年がニンマリ笑いを浮かべている。
「へぇ、人間ベースって話だけど、どれ位使えるのかな~。」
「私達の計画の詰めに用意されたのだから、知識も力もちゃんと学校で学んだのよ。ちゃんと働いてくれるわエンウィー。」
「あっそ。つう訳でよろしく!今言った通り、名前はエンウィー。一緒にやる時はお手柔らかに!」
かわるがわるに挨拶をされた。兄弟だと即座に認識はしたが、どう返してよいか分からなかった。だがこちらに向けられた彼らの視線は、卑下も好奇も含まない、無味無臭で同等な物だった。
…同胞として歓迎されていると、初めて感じた。学校へ通っていた時代も、同期とはあまり会話もなく、互いに割り切った部分があった。既に道具としての思考を刷り込まれていたとも言える。
だからこそ、兄弟から向けられた言葉に、口が自然と動いた。
「…ラースです。“人間”としての名を、キングブラッドレイと。」
ラストは口元に微笑を浮かべ、エンウィーは頬杖をつき、プライドはその影を微かにわななかせた。そしてその更に奥に座る長髪の男がゆっくりとこちらを振り向くのが分かり、頭を垂れた。
言われなくても理解していた。
アレが、この壮大な実験を自分に施した元凶であり、“我らの父上である事”も。
刺さるようでいて包みこむようなその暗闇の中で、本能に似たその感情が忠実な僕としての己を支配する。
目が地を捉える。
己の声が静寂を破った。
「父上、どうか御心のなすがままに、命令を。」
それは、絶対忠誠の言葉。同時に、それが自分の運命だと気付いた。軋む自我は絶望に覆われているが、またその半身ではそれが当然だと受入れていた。
大総統候補は、もはやそれ以外の道など、生まれた時から用意されていなかったのだと。諦めもなにも初めからなく、敷かれたレールを歩ききる事こそが、科された人生の命題だったと、
歯車の一部に過ぎない。それに気が付かずに大概の人間は一生を終える。だが片や歯車である事を自覚し、歯が欠け壊れるまで歯車であり続けようとする者がいる事も事実だ。歯車は只の部品でしかない。だからそこに意志を持つ必要性も無い。過去や未来という概念も排除され、ただ何かしらを為すためにキシキシ回り続ければ、それでよいのだ。万が一にでも別の大きなモノが台頭し、自らが廃棄されたとしても…
そう生きる事が運命だと受入れて、死がこの運命を解放するまで、私はレールの上を歩いて行く。そうする事こそが唯一私に遺された希望なのだから。